貞保(ていほう)親王と正されるべき
覚明は、比叡山で平家物語の原作「治承物語」を書く前に、箱根山で原「曽我物語」を書いています。
その「曽我物語(流布本)」で自分の先祖を清和天皇の第四貞保(ていはう)親王としています。流布本とは 同一の原本から生まれた諸本の中で、もっとも広く世に行なわれている本のことです。
現在の辞典類では、読み方が 貞保(さだやす)親王となっているものが多いですが、貞保(ていほう)親王が正しいかと思います。
貞保(さだやす)親王は今風の読み方で、曽我物語の語りべ(巫女・御前・瞽女)たちは貞保(ていはう)親王と詠じていたのではないかと思います。
なぜなら、「曽我物語」には、眞字本あり、異本あり、流布本あり、流布本に活字本と刻本(彫った版木で印刷した書物)とあり、刻本に、寛永、正保、慶安、寛文、貞享、元禄等の諸版あり。刻本の原は全て寛永版になっています。異本は、はやく活版になっていますが、流布本は明治44年国民文庫刊行会編にて発行された非売品「曽我物語(流布本)」(凸版印刷本所分工場印刷)まで活版はありませんでした。
当該本は寛永版の刻本を原として専和田信二郎氏所蔵の古写本(主として慶長以前の写本をいう)を翻刻(ほんこく、すでにある本や原稿を木版や活版で新たに起こし刊行すること)し、なお、原本の総仮名文を改めて漢字交じりにしたというものです。
原本の総仮名文を漢字交じりにしたということは、当該本の「清和天皇の第四貞保親王」の部分は、「ていはうしんわう」とルビがふられているので、長く語りべらにより詠じられてきた発音も、原本の総仮名文である「ていはうしんわう」だと言うことになります。
依って、江戸時代まで発音されてきた貞保親王は「ていはうしんわう」が正しいということになります。
依って、現在の貞保(さだやす)親王の表記は、貞保(ていほう)親王と正されるべきです。
(長左衛門・記)