2023年7月23日日曜日

こぼればなし(7)信濃前司行長、信濃入道、行長入道

    信濃前司行長とは、下野前司行長の誤りとする通説は正しいか

「平家物語」の作者について述べている記録は、鎌倉期に成立した兼好法師の『徒然草』が最古のものです。

信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)、信濃入道行(幸)長入道なる人物が「平家物語」の作者であり、生佛(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする記述があります。

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[徒然草226段の原文]

【 後鳥羽院の御時、信濃前司行長 稽古の譽ありけるが、樂府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心憂き事にして、學問をすてて遁世したりけるを、慈鎭和尚、一藝ある者をば下部までも召しおきて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。

この行長入道、平家物語を作りて、生佛(しょうぶつ)といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門のことを、殊にゆゝしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事は、能く知らざりけるにや、多くの事どもを記しもらせり。武士の事・弓馬のわざは、生佛、東國のものにて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生佛がうまれつきの聲を、今の琵琶法師は學びたるなり 】

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注目点!

当ブログでは、身びいきと言われるかも知れませんが、親しみを込めて(行長)入道を(幸長)入道と年表などに表示しています。

滋野流海野氏一門の系図を元に判読して、幸長入道に間違いないと確信しています。

巷間、信濃前司行長とは、下野前司行長の誤りとする通説がありますが、『徒然草』では、信濃前司行長、信濃入道、行長入道と三回も表現しています。

これを兼好法師の杜撰さだと片づけてきたこれまでの通説は、いかがなものかと思います。

当ブログでは、信濃前司行長の正体を10年以上にわたり追跡調査して来ました。

既に、これまで読まれてきた方は、重複になりますが、信濃前司行長とは、滋野流海野族海野行親の次男行(幸)長です。

(長左衛門・記)


 

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