2019年5月11日土曜日

年表でたどる幸長入道(1) 誕生時代

論文:「大夫坊覚明と平家物語」著:根井浄  (外部リンク)

この論文は、信州塩崎の白鳥山康楽寺の略縁起を糸口に、覚明の動向を史料に即して跡づけ、合わせて「平家物語」の成立と覚明の関係を整理しています。

兼好法師の徒然草226段の書きだしでは「後鳥羽院の御時、信濃前司行長 稽古の誉れありけるが、」となっていますが、この論文を読むことで重大なことに気付かされました。

稽古の誉れがあったのは、後鳥羽院の御時ではなかったのです。

82代後鳥羽天皇の在位は1183(寿永2) 年から1198(建久9)年までで、それから1221(承久3)年までが後鳥羽院の御時になります。

その時の海野幸(行)長は、54歳から77歳です。稽古の誉れありけるという年齢ではありません。

出家名の信救著作「仏法伝来次第」の経歴によると、近衛天皇在位の昔、急に比叡山黒谷で出家したとあります

そこで、信濃前司幸(行)長(本名海野幸長)の誕生から出家、修業遍歴を年表風に一覧(今後、加筆修正有り)にして見ました。

(長左衛門・記)

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年表でたどる幸(行)長入道の97歳の生涯(1)

「近衛天皇在位之昔」とは?
1141(永治元)年から1155(久寿2)年の14年間のことです。

1141(保延7)年7月10日から永治元年と改元。
  鳥羽法皇の意により崇徳天皇退位(崇徳上皇になる)
  永治元年12月以降76代近衛天皇即位(当時3歳)

1142(永治2)年4月28日に康治と改元。
  近衛天皇4歳
1143(康治2)年
  近衛天皇5歳

海野幸長誕生時代
1144(康治3)年2月23日に天養元年と改元。
  近衛天皇6歳、海野幸(行)長誕生0歳

  (康楽寺略縁起によると信州小県郡海野荘、現在の上田市大屋に生まれる)

1145(天養2)年7月22日に久安と改元。
  近衛天皇 7歳 、海野幸(行)長1歳
1146(久安2)年 平清盛、安芸守となる。
  近衛天皇8歳、 海野幸(行)長2歳
1147(久安3)年
  近衛天皇9歳、海野幸(行)長3歳
  延暦寺僧徒が御輿を奉じて入京し、平忠盛・清盛父子の流罪を訴える。
  源頼朝誕生
1148(久安4)年
  近衛天皇10歳、 海野幸(行)長4歳
1149(久安5)年
  近衛天皇11歳、海野幸(行)長5歳

  7月28日藤原頼長左大臣になる(崇徳上皇派)



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