☆平家物語の初稿は「治承物語」、原作者は伝・信濃前司行(幸)長
「平家物語」の作者は、兼好法師の徒然草によると信濃入道・行長入道こと信濃前司行長となっています。
しかし、平家物語には原作があり、その原作を「治承物語」といいます。
その初稿の作者は、信濃前司行(幸)長こと信濃滋野氏嫡流海野族の海野幸長です。
滋野・海野・会田岩下系図では行長ではなく幸長です。
代々海野家では幸が重用されてきました。
その幸長の出家名は信救、木曽義仲の祐筆のときは覚明、比叡山の慈鎭和尚のもとで「治承物語」を書いたときは浄寛といいました。
信濃入道こと信救・覚明・浄寛は、後に親鸞と行を共にし西仏法師として97歳で亡くなりました。
その時、平家物語は、まだ「治承物語六巻(号平家)」と呼ばれていました。
(長左衛門・記)
しかし、平家物語には原作があり、その原作を「治承物語」といいます。
その初稿の作者は、信濃前司行(幸)長こと信濃滋野氏嫡流海野族の海野幸長です。
滋野・海野・会田岩下系図では行長ではなく幸長です。
代々海野家では幸が重用されてきました。
その幸長の出家名は信救、木曽義仲の祐筆のときは覚明、比叡山の慈鎭和尚のもとで「治承物語」を書いたときは浄寛といいました。
信濃入道こと信救・覚明・浄寛は、後に親鸞と行を共にし西仏法師として97歳で亡くなりました。
その時、平家物語は、まだ「治承物語六巻(号平家)」と呼ばれていました。
(長左衛門・記)
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