2019年5月10日金曜日

平家物語原作者 信濃前司行長


         

「平家物語」の原作者は信濃前司行(幸)長


平家物語の作者は、兼好法師の徒然草によると、

信濃入道・行長入道こと信濃前司行長となっています。

しかし、平家物語には原作があり、

その原作を「治承物語(三巻)」と言います。

その初稿の作者は信濃前司幸長こと信濃滋野氏嫡流海野族の海野幸長です。

海野幸長の比叡山黒谷での出家名は信濃の信をかり信救と称しました。

その後、源義仲の祐筆のとき、大夫房覚明の名で活躍。



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平家物語の関連
原文・構成・解説など


平家物語の解説

平家物語については、 kotobank.jp/word/平家物語-128871で検索すると、以下のそれぞれの解説が見られます(コトバンクは朝日新聞のサービスです)

ブリタニカ国際大百科事典 の解説
デジタル大辞泉の解説
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世界大百科事典 第2版の解説
大辞林 第三版の解説
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
精選版日本国語大辞典



原典平家物語の解説ーNPO法人原典「平家物語」を聴く会

平家物語の成立について、大津雄一氏(早稲田大学大学教育・総合科学学術院教授)が簡潔に解りやすく解説されています。



「平家物語」の構成

平家物語(上)高橋貞一校注 講談社刊 巻第一より巻第六
平家物語(下)高橋貞一校注 講談社刊 巻第七より巻第十二、
そして灌頂巻
流布本の元和九年刊行片仮名交じり附則十二行整版本を底本としている。
※12巻本、灌頂巻が独立している語り本系の構成を掲載する。

構成は目次を参照

平家物語


目次


●巻第一
   祇園精舎殿上闇討禿童我身栄華妓王、二代后、額打論、清水炎上、
殿下乗合、鹿谷、鵜川合戦、願立、御輿振、内裏炎上

●巻第二
   座主流、一行阿闍梨、西光被斬、小教訓、少将乞請、教訓、烽火、新大納言被流、
阿古屋松、新大納言死去、徳大寺厳島詣、山門滅亡、善光寺炎上、康頼祝、卒都婆流、
蘇武

●巻第三
   許文、足摺、御産巻、公卿揃、大塔建立、頼豪、少将都還、有王島下、辻風、
医師問答、 無文沙汰、燈籠、金渡、法印問答、大臣流罪、行隆沙汰、法皇御遷幸、
城南離宮

●巻第四
   厳島御幸、還御、源氏揃、鼬沙汰、信連合戦、高倉宮園城寺入御、競、山門牒状
南都牒状南都返牒、大衆揃、橋合戦、宮御最期、若宮御出家、鵼、三井寺炎上

●巻第五
 都遷、新都、月見、物怪、大庭早馬、朝敵揃、咸陽宮、文覚荒行、勧進帳、
文覚被流、伊豆院宣、富士川、五節沙汰、都還、奈良炎上

●巻第六
 新院崩御、紅葉、葵前、小督、廻文、飛脚到来、入道逝去、経島、慈心坊、
祇園女御、洲股合戦、喘涸声、横田河原合戦

●巻第七
 北国下向、竹生島詣、火燧合戦、木曽願書、倶梨迦羅落、篠原合戦、實盛最後、
玄昉、木曾山門牒状山門返牒平家山門への連署主上都落、維盛都落、
聖主臨幸、忠度都落、経正都落、青山沙汰、一門都落、福原落

●巻第八
 山門御幸、那都羅、宇佐行幸、緒環、太宰府落、征夷将軍院宣、猫間、
水島合戦、瀬尾最後、室山合戦、鼓判官、法住寺合戦

●巻第九
 小朝拝、宇治川、河原合戦、木曾最期、樋口被斬、六箇度合戦、
三草勢汰、三草合戦、老馬、一二の懸、二度の懸、坂落、盛俊最後、
忠度最期、重衡虜、敦盛、濱軍、落足、小宰相

●巻第十
 首渡、内裏女房、八島院宣、請文、戒文、海道下、千手、横笛、高野の巻、
維盛出家、熊野参詣、維盛入水、三日平氏、藤戸、大嘗會沙汰

●巻第十一
 逆櫓、勝浦合戦、大坂越、嗣信最期、那須与一、弓流、志度合戦、壇浦合戦、
遠矢、先帝御入水、能登殿最後、内侍所都入、一門大路被渡、平大納言文沙汰、
副将被斬、腰越、大臣殿誅罰

●巻第十二
 重衡被斬、大地震、紺掻沙汰、平大納言被流、土佐房被斬、判官都落、
吉田大納言沙汰、六代、泊瀬六代、六代被斬

●灌頂巻
 女院御出家、小原入御、小原御幸、六道、御往生


(私注)

紫色文字の部分は、平家物語の原作「治承物語」初稿に
存在していたと思われる条。考証済みの各条一覧




平家物語の原文

古典平家物語の全文が読めます。平仮名版なので慣れないと読みにくいですが、音読すると伝わってきます。

使用テキストは、流布本 元和九年刊行 片仮名交じり附訓十二行整版本(平仮名版)
流布本は、版本や写本が数十種類出ていますが、初期の物ほど善本とされています。
元和九年版は、元和七年版についで古い物です。



「平家物語」が、どんなに優れているか

作家の吉川英治氏が、新平家物語を執筆するに当たり、古典「平家物語」の素晴らしさを随筆「新平家」に、縷々述べられています。

その中から目立つものを抜き書きしました。

特に印象的な部分は下記の部分です。

古典平家は宇宙の不変、人間宿業の極まりなさ、その中の歓楽と、主人公もなく、ただ、時の流れを主題としているなど、この作品のスケールの雄大さと、構成の仕方は、よほど大陸文学じみている。日本人のあたまから出た古典として、平家ほど、大陸的風貌をもった作品は、ほかにない

                                                             
古典『平家物語』が、どんなに優れているか

作家吉川英治の批評(昭和29年7月11日)から

吉川英治は『新平家物語』を書くに当たり、『古典平家物語』の素晴らしさを『随筆新平家』(吉川英治歴史時代文庫、講談社、平成2年10月11日第1刷発行)に縷々述べている。
その中から目立つものを抜粋し纏めた。
 

☆古典平家には、一貫したストオリはありません。各章の史的挿話が、人間の無常、栄枯の泡沫、愛憎の果てなさなど、組みかさね、組みかさね、十二世紀日本を構造して見せ、抒情し去ってゆくのであります。

☆古典平家の全篇はその悲曲である。西行を初め幾多の人間が、いのちをかけ、身を示して、いうのである。“あはれ”ということばや、無常という詩韻をもって、この国、この地上においての生き方を、胸いたむまで、考えさせているとおもう。

☆平家物語考証の著者は──清盛トテ忠志ナキニ非ズ、サレド法皇、サキニ信頼ヲ寵シテ 平治ニ乱アリ、マタ成親等ヲシテ鹿ヶ谷ニ会セシメ、今マタコノ事ヲ見ル、禍乱止マルベカラズ、清盛ノ跋扈モヤムヲ得ザルナリ──と清盛の法皇幽閉の挙を、やむをえない処置としている。

☆平家物語のばあいのように、没落当夜を境として、流亡数年の末路までをテーマとしたものは、歴史としても文芸としても他に例がないといえよう。

☆古典平家の筆者はまた、義仲を、非同情というよりもやや揶揄的に書いている。都人が 遠隔の野性人を見るときに持つ嘲侮を平家の筆者も持っていた。

☆古典平家をつらぬいている無常観や、平和への祈りや、あわれを歌う、人間業の懺悔とも通じている。

☆古典平家も時を経た伝聞であり、また、筆者の感情や創意も加わったものである。

☆平家繁昌の時代よりも、一門西走からの、漂う平家となってからが、真に、古典平家も力をいれているものだし、また、人の心をとらえる哀調の詩とも古来いわれている所だ。

☆勝者の源氏方にも、義経の行動や頼朝の家庭を中心として、もう盛者必衰の芽が育ちかけていた。
古典平家の筆者はじつに苛酷なほど現世現実なるものを冷視する。
といって、 ただのむなしい虚無ではない。
東洋的な身の処置と生き方は切々と古典平家の筆者もその行動に希求してやまない風がある。
余りに現実に固着して身うごきも心の窓も放たれない現代の読者には、古典平家がもつ人間苦解脱の悲願と、今日の平和の希いとを考え あわせて、時に夜空の星と語るような思いもされるのではあるまいか。

☆承久四年に書かれた僧慶政の随筆、閑居友に──建礼門院おん庵にお忍び御幸の事、という短文がある。
それを取材にして、平家物語の著者が、あのような大尾の大文章を物したものだという。
とすると、古典平家の著者も、よほど小説的構成と空想力に富んでいた人かと思われる。

☆古典平家の大原御幸のくだりは、全文が荘重な仏教音楽であると思う。──祇園精舎ノ鐘ノ声、沙羅双樹ノ花ノ色──に始まった書き出しからの物語をここで結ぶ一大文章供養の文といってよい。

☆だからストオリーはなにもない。
女院と法皇の関係も、侍者とのあいだも、仏者的口吻の聖教そのまま、つまり原作者の該博な仏典の演繹と、長恨歌や左伝春秋などに影響された文体そのもので終わっている。
いやそれなるがゆえに、当時の読者をして魅了し随喜させ、その音楽的幻想のうちに、一般の仏教至上思想をも昂揚しながら、見事に、巻を閉じさせてしまうのである。
大手腕だと思う。
古典の真味だと思う。
凡手の及ばぬところと思う。
けれど余りにも現代に通じるものが少ない。
そのままを現代語にしたら、現代の眼は、反撥すらするであろう。
そして古典のよさは、霧散される。
そのよさを味わうには、註釈を頼っても、古典そのものに就くしかないのである。

☆古典平家は原典からして、よほど大衆文学的である。
庶民感にも親しみうる「人間群物語」といってよい。

☆古典平家は宇宙の不変、人間宿業の極まりなさ、その中の歓楽と、主人公もなく、ただ、時の流れを主題としているなど、この作品のスケールの雄大さと、構成の仕方は、よほど大陸文学じみている。
日本人のあたまから出た古典として、平家ほど、大陸的風貌をもった作品は、ほかにない。

☆古典平家物語は、詩として書かれた。
詩として奏でるよりほかに、あの人間業を歌いようもないからであろう。


以上、作品についての評価が述べられています。


原作者の信濃入道こと信濃前司行長(海野幸長・信救・覚明・西仏坊)が生きていたら、自作の「治承物語(初稿三巻)」が、このような「平家物語」に成長したことを、どんなにか喜ぶことでしょう。

(長左衛門・記)


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